『湯神くんには友達がいない』佐倉準 

8.4/10

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 『〇〇は〜〜したい』というタイトルを持つ漫画、あなたは読んだことがあるだろうか?有名なものを挙げるならば実写映画化もされた『かぐや様は告らせたい』、『阿波連さんははかれない』『黒崎くんの言いなりになんてならない』などであろうか。この「SがV(C)」という形の単純な文がタイトルになっている漫画は意外にも多い。先述の『かぐや様は告らせたい』の大ヒットは少し異質ではあるものの、恋愛漫画やそれにサブマテリアルを加えた日常漫画は日本漫画界のサブジャンルとして静かに、そして着実に定着されていった。その起源は00年代のライトノベルでの説明的なタイトル文化からなのかはわからないが、現在はもはや様式美と言えるレベルにまで溶け込んでいるのは確かだ。

 

 その中の一つが『湯神くんには友達がいない』である。本作品は2012年から2019年まで週間少年サンデーS(スーパー)にて連載されていた。当初は全5回の連載予定だったが、着々と人気を獲得し、ドラマCDの発売もされた。

 この作品の魅力として、メインキャラクターである湯神裕二と綿貫ちひろ人間性についての対称性が真っ先に浮かぶ。湯神くんは根本的な信念として「友達はいらない」というスタンスを終始貫いている。

 

『俺はウジウジと過去の人間関係に脳の容量を使うつもりはない!

何故なら俺は、友達とかそういうものを必要としない人間だからだ!』

 

何度も登場するこのセリフは決して強がりではなく、心底一人で人生を楽しむことの合理的豊かさを信じているのである。しかしそんなことをしていてはもちろん、クラスや部活では浮いてしまう。が、彼はそんなことものともせず我を貫き生活していた。そこにヒロイン(彼女は基本的な物語の語り手であるため主人公でもある)のちひろが転校してくるところから物語は始まる。彼女は親の転勤に振り回され、小さい頃から何度も転校を繰り返してきており、友達作りが苦手であった。内向的ではないものの、すでに出来上がっている人間関係に自分から突入するのが怖く、嫌われないように頼み事は全て引き受けるというクラスにいる「仲良くはないけど優しい子」であった。物語が進むにつれて二人を中心に様々な登場人物とコメディや青春的展開が繰り広げられていくわけである。ちひろは湯神くんに対して、「変な人」という印象はもつものの、彼の一貫した態度や、人生観を知っていき心を許していく。物語のラストはここでは伏せるが、素晴らしい結末だったことだけは言っておきたい。

 ちひろに一般的な感情移入をこえたシンパシーを感じたのは私だけだろうか?学生の友人関係とは、クラスの中心にいる運動部のスターでもない限り、(湯神くんはそうであったわけだが。)誰しもが思い悩んだものであろう。今までの学校では友達はいたが、いざ進学してみると友達作りに出遅れてしまい、昼食は一人で食べるハメに...数少ない友達が休んで話し相手がクラスにいない...そんな経験をしたことのある人間は実は多いはずだ。そんな中で湯神くんは「一人でいること」を自信を持って肯定してくれるのだ。友達といない時、10代の若者は学校では意外に弱い。その中でなんとか拠り所を探しているなかで一人で大地に足をつけ、憮然と彼は自立しているのだ。この漫画の魅力の核はちひろへのシンパシーと湯神くんへの憧憬である。

 この作品は一般的には端役ともいえる高校生たちの学園生活を非常に写実的に描いている。隣同士の席の二人が彼女たちだけの世界で話をするシーンは、『となりの関くん』を想起させるし、文化祭でもクラスの出し物は「ゴミ箱作り」であるところなど実に現実的だ。私は学園漫画における友人関係の極めて記号的で既視感漂う展開に読者はウンザリしていた。しかし、この作品においてはちひろの転校から卒業まで、型破りな展開が散見され、そのどれもが的確に私の学生時代を思い出させるのだ。いわゆるインキャで友達が多いとは決して言えなかった私にとっては、この作品の主人公2人が忘れかけていた学生時代の私だけの思考のタイムカプセルを掘り起こし、湯神くんのような生活も悪くなかったのではないか、という後悔のドアノブに触れてくるのだ。自己啓発的なことを言うわけではないが、彼のマインドはメンタルヘルスが叫ばれる2021年において、端役の我々が幸せに生きる数少ない方法なのではないだろうか。  

 

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#湯神くんには友達がいない